目次
- その1 -問題提起-
- その2 -今後の司法の役割の増大-
- その3 -国民に縁遠い司法から身近な司法へ-
- その4 -国民参加がもたらすもの-
最終更新日:2015年8月28日
◇「裁判員制度が導入されたのはなぜなのでしょう?これまでの裁判に何か問題があったからなのでしょうか?」
-裁判員裁判についての説明会の席上で,このような御質問を受けることが少なからずありました。◇「しかし,それならば,何も国民に負担を与えてまでして裁判制度を改める必要はないのではないか。」
-あなたもそう思われるかもしれません。◇バブル経済の崩壊後,国民・社会の各層から,政府に対して,「もっと政府の規制を緩和して自由に競争できる社会を作るべきだ」との要請が寄せられました。そして,これに応えて,様々な「行財政改革・規制緩和」が行われました。我が国社会の「構造改革」と言われるものです。
◇しかし,自由競争の社会の中では,「自由」の名の下に,ずるいことをしたり,他人を犠牲にしたりして,自分一人が得をすればいいという不届き者が続々と出てきかねません。そのような社会のルールに違反した者たち,そしてそれらによって不当な被害を受けた人々を放置することはいずれも不公正・不正義ですから,前者はこれをきちんと処罰しなければなりませんし,後者は救済されなければなりません。
◇さて,その役目を果たすのはだれなのでしょうか。それは,「司法」です。そうすると,この社会の中で「構造改革」が進めば進むほど,つまり国民が自由に活動できる場面が増せば増すほど,我が国の司法はどうしてもその出番が増えてくることになり,そうなると,司法は,これまで以上に,国民にとって,使いやすく頼りがいのあるものになっていかなければならないはずです。
そのような目で,改めて我が国の司法の現状を見てみると,どうでしょうか。
◇我が国の司法は,国民にとって使いやすく頼りがいのあるものになっているか?
-この視点から改めて我が国の司法の現状を見てみると,次のようなことが言えるのではないでしょうか。
確かに,法律の専門家たちによって質の高い司法が行われてはきたが,その反面,専門的な正確さを重視する余り,審理や判決が国民にとって理解しにくいものであったり,一部の事件とはいえ,審理に長期間を要する事件があったりして,そのため,国民の皆さんに裁判は近寄り難いという印象を与えてきた面があったのではないか。
このように司法というものが縁遠い存在のままでは,国民の立場からすると,司法を利用してきちんと正しくトラブルを解決しようという気持ちにならないのではないでしょうか。それでは泣き寝入りが増えるばかりで,大変困ったことになります。
◇そこで,「より国民に身近で,国民にとってより頼りがいのある司法,つまり国民がもっと利用しやすい司法に,作り替える必要がある」ということになったのです。これが「司法制度改革」です。内閣に設置された司法制度改革審議会で,各界の代表者や有識者が集まり,このような問題意識に立って議論が行われました。
そして,「このような司法に作り替える,国民と司法の距離を飛躍的に縮めるためには,どうしたらよいか」が論じられた結果,「一番良い方法は,何と言っても,国民自身に司法に参加してもらうことだ。」ということになったのです。
◇我が国の司法が国民に身近な存在となるための方法として,なぜ,国民自身に裁判に参加してもらうことが一番良いのでしょうか?
国民自身が裁判をすることになれば,検察官・弁護士・裁判官は,法律の専門家でない国民の皆さんに裁判の内容を分かっていただけるよう,また裁判が迅速に進められるよう,様々な工夫を凝らすことになります。そうなると,