明治新政府にとって,法治国家として不可欠な近代的司法制度の確立と基本法令の制定は重要な仕事であった。その基礎固めを行ったのが江藤新平であり,大木喬任である。 江藤新平は,わずか在任1年で司法卿を辞任したが,その後任が同郷の大木喬任であり,喬任は,親友の新平が手掛けた民法,刑法等の編纂事業を受け継ぐこととなった。 民法,刑法等の編纂事業・我が国の民法典編纂事業は,江藤新平が,箕作麟祥に命じてフランス民法典を翻訳させ,これを逐条審議したことに始まるといわれる。その後,司法卿に任ぜられた新平は司法省に明法案を設けて作業を続け,「民法仮法制」の完成まで漕ぎ着いたが,実施には至らなかった。 明治6年に司法卿となった喬任は,その後長きにわたって司法卿の地位にあったが,この間,フランスから招へいしたボアソナードを中心にして民法編纂事業に当たらせ,明治13年には自らも民法編纂総裁に命ぜられ,その尽力により,いわゆる「ボアソナード日本民法草案」が起草されたのである。